善法律寺

善法律寺の歴史

 善法律寺は、奈良唐招提寺末で律宗である。鎌倉時代正嘉年間(1257〜59)に九州宇佐八幡宮の喜多院に準じ、石清水八幡宮の法務寺院として、八幡宮第27代検校善法寺宮清が自分の邸宅を僧坊として喜捨し、奈良東大寺より実相上人を招いて開山した。
 また、当寺は足利氏とゆかりがあり、特に宮清のひ孫である良子が、二代将軍義詮に嫁いで、三代将軍義満を産んだ。そのため、義満・義教・義政と、歴代の将軍が何度も参詣している。
 義満の母・良子は、善法寺家の菩提寺である当寺へ多くの紅葉の樹を寄進し、今も約百本の紅葉が茂っている。春は萌える新緑、秋は深紅の紅葉が美しく、当寺は「もみじ寺」と称されるようになった。


 建武元年(1334)秋、後醍醐天皇は石清水八幡宮に行幸されました。三日間にわたる大願成就のご報告と願文奉納の行事を終わった後、当寺に立ち寄られ、その日は山門の精進潔斎を解き、供をした諸卿や諸将にも酒肴を振る舞われました。天皇は当寺の紅葉を愛でながら、大いに楽しまれたと伝えます。


 石清水八幡宮祠官家・善法寺家の歴史
   
 善法律寺の願主であり、檀越であった善法寺家は、十二世紀の紀成清を始祖とする。石清水八幡宮祠官家の一つとして、別当や検校の職に就き、皇室や足利将軍家とも姻戚であった。明治の神仏分離の際、菊大路の姓を名乗っています。

 亥の子餅 (能勢餅) について
 亥の子餅は、かつて能勢餅と呼ばれ、摂津国能勢木代庄の住人によって、毎年、宮中に献上されていました。能勢木代庄は、善法寺家の荘園であったのです。能勢には名高い能勢妙見もあり、これらに善法寺家の威光が伺えます。
(画像は、走井餅老舗に再現して頂いた亥の子餅)


 善法寺家遺蹟・御庭ノ水について
 善法律寺は善法寺家の邸宅に建立されたと伝えるが、善法寺家の庭園に建立されたとの別伝もある。 境内の南にある井戸は、「御庭ノ水」と呼ばれ、近代まで善法寺家(菊大路家)が所有していた。
 善法寺家の往時を偲ぶ数少ない遺蹟である。
 老朽化が進んでいたが、平成28年(2016)屋形を改修し、再興の端緒とした。

   善法律寺 公式ホームページ
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